今日も深爪

爪を切るのが絶望的に下手です

もう半分

 こんばんは。武藤です。今朝は取り乱してチョコミントへの愛を語るだけのブログを書いてしまいましたが、今回は気を取り直して大好きな歌集のことを書きます。

 今回取り上げる歌集は、尼崎武さんの『新しい猫背の星』。以前にもこの歌集についてさらっと感想のようなものを述べたブログを書いたんですが、正直あまり納得のいく書き方ができなかったので(かと言って今回も納得のいくブログを書けるかどうかはわからないんですが)。

 

 今回(から?)は「ここが好きだよこの歌集」ということで、好きな歌、そして好きポイントをリストアップしてそれについて少しずつ書いていく方向でいこうかな、と。未だに感想文系の方向性が分かってません。生ぬるく見守ってください。ネタバレはそんなにしない方向で。

 

好きだよポイント

 

その1. 帯がミント色

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かわいい。ミント色。以上。

既にネタに走ろうとしてる感がありますが、決してそういうわけではないです。

ミント色かわいい!!!!!

 

その2. 強弱の付け方

目次に並ぶ連作(章)のタイトルを見ただけで素敵。

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特に、「うごくおとうさん」→「全国片思い駅伝」なんて、作中主体が変わるということがこの時点で分かる。あんな歌が続いたかと思うと、今度はまた雰囲気の違う歌が並んで、というのが繰り返されて、ただ単にくびれがあるだけではなく、全体を通して(もちろんいい意味で)波打っている歌集だと思います。読みごたえ抜群。

 

その3. 歌

そりゃ歌集だもん歌がいいに決まってます。前回のブログでは9首紹介しましたが、今回はまた別の歌を何首か紹介させてください。

 

青春はほとんど左右対称でその真ん中にいたこともある - 青春の真ん中に

 

「こんばんは、何しているの?」「月として半分欠けているとこですよ」 - 満月予報官

 

暗くって何にも見えなかったからあんな話で笑ってられた - きりんのネックレス

 

日給を体重で割る 豚肉と俺の価値とを比べるために - 明日に優しいマン

  

半分は冗談だけどあなたにはもう半分をわかってほしい  - 全国片思い駅伝

 

大丈夫だいじょぶだから(トリカブト)植物由来の成分だから - 100万回生きたヒト

 

 前回は取り上げなかった連作から一首ずつピックアップしました。青春の甘酸っぱさ、どこにもいけない気持ちを歌ったかと思えば、お月様と会話をしていたり、豚肉と自分を比べていたり、振り幅が広くて、読んでいて思わず唸ってしまう。好きです。

 

 そして前回のブログに、 

それから、これを書きながら『新しい猫背の星』を読み返していて気づいたことなのですが、私は短歌を読むときに無意識的に「五、七、五、七、七」と音節で区切って読んでしまうのだけど、この歌集ではそれをしていなくて、ただ一行詩を読んでいるような感覚で読んでいました。

大切なものの話 - 今日も深爪

こんなことを書いたのだけど、初めて読んだときに「破調が甚だしいな」と思っていた歌が何首かあって、それらをずっと唱えていたら、本当は「五、七、五、七、七」の定型そのものだった、ということがあります。現代短歌の「可能性」みたいなものを感じられて、定型に気付いたときはすごく嬉しかった(私の初見がいかにいい加減か、という話なのかもしれませんが)

 

前回同様、引用がほとんどを占めるものになってしまったんですが、こんな感じです。そして、この『新しい猫背の星』を既に読んだ方向けに、もうひとつ文章を書いたので、「『新しい猫背の星』読んだよ〜」っていう方はこちらも読んでいただけると嬉しいです。

 

何かの作品に対して、極力ネタバレを避けて魅力を伝えるって難しいですね。

 

それでは。

 

 

ゲシュタルトミント

 久しぶりにブックオフに行ったっていう話をちょっといい話風に書こうかと思ったんですが、頭を使いたくないので、その話はさておきチョコミントへの愛を語る回にします。いぇい。頭は使いたくないけど文章は書きたい。

 

 大前提として、私が大のチョコミント好きだということを皆様に知っていただく必要があるので、こちらをご覧ください(知ってる人はTwitterなんか開いてないで読み進めてください)。

twitter.com

 昨年の夏からチョコミント商品を買い漁っては写真に撮り、ツイートし、さらにそれをまとめたものです。(少なくとも私にとって)チョコミントは美味い。

 

ということで、本題です。 

 

 

 1. チョコミントとは

 まずは「チョコミントとは何なのか」ということについて、独断と偏見だらけの定義づけをします。

 チョコミント : チョコミントを掛け合わせたという概念。ある人曰く「魔法の食べ物」、そしてある人曰く「歯磨き粉」。

どちらが正しいとか間違えてるとかではなく、考え方や感じ方は人それぞれなのでどちらも120点満点の正解です。チョコミントが好きな私でも「歯磨き粉」だと思うことがある。ただし、チョコミント容認派の人間とチョコミント否定派の人間の決定的な違いは「歯磨き粉」を美味しいと思うか否か、という点でもあるので、大抵のチョコミント好きは「歯磨き粉だって美味しいでしょ」という考えの持ち主である(と私は信じています)。

 

 2. チョコミントと私

 1) 出逢い

 小さい頃によく行っていた温泉にあったセブンティーンアイスの自販機。おそらく小学校低学年の頃。そこでなぜ私がチョコミントのボタンを押したのかは不明ですが、たぶん運命。
 そこから何かにつけてチョコミントを選ぶようになり、今に至ります。チョコミントは美味い。でもここだけの話、こんなことを言ったら他のチョコミント好きに撃たれそうですが、サーティワンチョコミントアイスは生まれてこの方20年くらい食べたことがありません(だってサーティワンにはポッピングシャワーがあるんだもん…)。


 2) 倦怠期

 しかしこれだけチョコミント中毒みたいな生活をしていると、もちろん飽きっていうのも来るわけで。本当の愛は冷めるわけない、とか考えてる人はごめんなさい。本当の愛でもたぶん冷めるときは冷めるし(知らんけど)、もしかしたら私がチョコミントに対して抱いているのは本当の愛ではないかもしれない。まあそれはさておき、飽きるんですよ。いくら好きでも。
 そして「私は本当にチョコミントが好きなのだろうか」という素朴な疑問を抱き始める。それが一度や二度ではなく、1~2ヶ月に1回くらいのペースで。倦怠期のカップルでもそんなにならないレベル。んで「チョコミントって本当に美味しいのか…?」「もしかして自分はチョコミントなしでも生きていけるんじゃないか…?」などと散々思うんですけど、お店に行ってチョコミントのものが売ってたら値段を見ないで買ってしまうんですよ。愛。もはや愛っていうより何だこれ。義務感? というか、もはや愛とか義務感とかそういう次元ではない。チョコミントが磁石のS極だとしたら私はN極、っていうレベル。運命。そういう星のもとに生きてる。チョコミント最高。
 ってちょっと脱線しましたけど、「本当は美味しくないんじゃないか」「本当は好きじゃないんじゃないか」と散々思っても結局帰る場所はチョコミントなんです。しょっちゅう喧嘩してるけど、何だかんだ別れないカップル的なね、あれです。愛羅武勇ですよ("あいらぶゆう"って打ったらすぐこう変換するMacにほんの少しの恐怖を感じた)


 3) 現在、そして考察

 まあ人並みかそれ以上の倦怠期を乗り越えてはまた倦怠期を迎え、を繰り返している現在ですが、普通にチョコミント飽きました(っていうのもさっきまでチョコミントパフェを食べていたのが原因なんですけど)。そしてさっきまで食べてたパフェっていうのがこれです。

生活リズムという概念がない世界で生きているので、この時間にこれを摂取することに対しては何の罪悪感もないです pic.twitter.com/DEsxjwIw2v

 

アイスの姿をしたチョコミントは大体美味しい論の信者だし、これは天下の赤城乳業様だから安心してたんだけど、何となくボリュームに走ってる感があってクオリティ…??? って感じです個人的に(半分でお腹いっぱい)。 https://t.co/LciUixTttD

  (たぶん)ローソン限定の天下の赤城乳業様のチョコミントパフェ。こんなの絶対美味しくないわけないじゃないですか。だってアイスだし。赤城乳業だし。だがしかしbutとにかく量が多い。チョコミントの暴力。普段だったら喜んで殴られるけどそういうレベルではない。このパフェ、上のチョコミントクリーム部分、真ん中のバニラ+クッキー部分、下のチョコミント部分に別れてるんですけど、とにかく甘い甘いあまーーーーーーーーーーーーーい!!!自分の中に住んでるスピードワゴンが出ちゃうレベルで甘い。胃もたれ必須。甘い上に、でかい。胃もたれ必須。半分で食べるのやめました♡

 ちなみに大事な情報として前述し忘れたんですが、私はミント感ゴリゴリのチョコミントが好きです(チョコミントが政権を握る世界ではミントはチョコを殺しいてもいいがチョコはミントを殺してはいけないっていう法律を定めるべきだと思っている)。

 チョコミント製品を食べている中で、「これよりだったら、普通にバニラアイスに自分で作ったミントシロップかけたほうが美味しいわ」って思うことが幾度となくあるんですが、もはやそれはチョコミントではなくちょっと甘いミントっていうね。そこなんです。そういうことなんです。そう、それ。

 チョコじゃなくてもいい。甘くさえあれば。私の中の結論はそれです。チョコミントが好きっていうより、ちょっと甘いミントがあれば生きていけるんです。たぶん。だけど世の中には「チョコミント」っていうどこかの天才が作り出した概念とその概念を孕んだ素晴らしい物体が「食べもの」として存在していて、「妥協」というにはレベルが高すぎるプラットフォームがそこにある。一種の妥協、しかし妥協ではない。という素晴らしい現象がチョコミントの存在によって引き起こされているわけです。最高か。

 まあ少し脱線したんですけど、何が言いたいかというと、私は体質的に甘いものがそんなに得意ではなくて(めちゃくちゃ大好きなの、大好きなのに胃もたれするの。大好きだから食べるんだけど)、それをミントの爽やかさで(自らの体内/心で)相殺しようとしているのではないか、という一つの考察です。身も葉もねえ。そして一方で、ミント自体もあまり得意ではなくて(ガムはめちゃくちゃ好きだし歯磨き粉も美味しいと思ってるんだけど)、あのドギツさを、甘いもので相殺しようとしているのではないかという(以下略)。

ってことでチョコミントは最高です!!!以上。

 

 

 

 

それなのに雨

 鈴木晴香(@UsagiHaru)さんの歌集、『夜にあやまってくれ』を読んだ。実際に読んだのはもう半年も前の話なのだけど、初めて読んで以来、この歌集は私にとってかけがえのない1冊となっている。

 

(本当は何首か紹介したり、感想を書いたりしたいのだけど、実家にいるにも関わらず大学に歌集・メモノートを置いて帰ってきてしまったもので、すみません。どうしても気になる方は自分で買って確認してください。買っても損はしない、っていうのは私が保証します。)

 

 今回はその『夜にあやまってくれ』に収録されている1首

君のいる世界に生きているなんて思えないよ それなのに雨

 という歌について少しだけ書きたいと思う。

 

 私はこの歌に初めて出会ったときからずっと、

君のいる世界に生きているなんて思えない
= 同じ世界に生きているはずなのに会えない

ということだと思っていて、
雨ってどうしてもマイナスなイメージがあるから、そのと「君に会えない」ということが「それなのに」という逆接で繋がれていることに引っ掛かっていたのだけど、もしかして、「会えないけれど、それなのに、雨は、君と私のいる世界に降って、私たちは同じように濡れている」ということなのかなあ、と納得した。


 でも、よくよく考えたら

君のいる世界に生きているなんて思えない

= 君と同じ世界に生きることができて嬉しい

で、こんなにも素敵な世界にいるのに、君と同じ世界に存在できて嬉しいのに、それなのに”が降っている、とも解釈できて(ハッピーな気分に水を差されている、みたいな。雨だけに)、おそらくこっちが作者の意図するところなんだろうな、なんて。

 

 言葉の意味は発信した側ではなく、受信した側に意味の全てが委ねられている、という文句があって、特に日常会話ではなくこういった文芸作品において、解釈の幅というものは私たち読者に対して存分に与えられていると思っているけれど、目の前のリンゴを見てバナナだと思うのは違うから。

 形式上「正しい答え」なんてないとはいえ、そこに発信者がいる限り、「発信者が意図したもの」は確かに存在するから、それを程よく汲み取りつつ、多角的に解釈する、解釈の可能性を見失わない、というのが私の理想。

 

 今回、私の最初の読みは確かに「誤読」だったのかもしれないけれど、最初の解釈も嫌いにはなれない(むしろ好きな) ので、その解釈も、今回の気付きももどちらも忘れないように、という備想録でした。

秘密の鍵を手に入れた僕ら

 今からおよそ10年前、秋田の片田舎の小学校に通っていた私は両親の影響もあり、読書が好きな子だった。当時は教室の本棚にある赤川次郎、そしてよくあるお涙頂戴系の安っぽい感動作品(ごめんなさい)を読み漁っていた記憶がある。

 そんなある日、私は本棚のいちばん上に厚さ3cmほどの本を見つける。タイトルは『宇宙への秘密の鍵』。当時、赤川次郎とお涙頂戴系の(以下略)の他にも、偉人伝を読むことが好きだった私。モーツァルト、ベートーベン、ガリレオライト兄弟ナイチンゲール、…図書館にあった偉人伝(マンガのやつ)は片っ端から読んでいた。ご多分に漏れず、その中にはアインシュタインの伝記もあり、当時の私はひどく感化された。

 というのも、今やこんなにも文系畑出身の、数学は無理です…みたいな人間になってしまったけれど、小学生の頃は無知ながら、無知ゆえに、「宇宙飛行士になりたい!」なんて思っていた時期もあるくらい、宇宙に漠然とした憧れを抱いていたのだ。

 そんなときに突如として目の前に現れた『宇宙への秘密の鍵』、タイトル、厚さ、表紙。当時、あんなにも私の好奇心とプライドを刺激する本に出会ったのは初めてだった。

 ページを無心にめくった。何度も何度も読み返した。
今となっては

ブラックホールから脱出することはできるけれど、それはブラックホールが消滅するときで、何万年、何億年とかかって、出てくる頃には微粒子

みたいな、そんなことが書かれていたな、とぼんやりとしか内容を思い出せないけれど、確かに私の居場所、私の世界を作ってくれたこの本が大好きだった。

 星空を眺めて、「あの星の光は何億年も前の光」と思いを馳せ、勝手にタイムスリップしたような気になれるのも、ネリリしキルルしハララするのも(これは違うけど)、全てを辿るとこの本に行き着く。

 私はホーキング博士の研究や彼の理論については全く分からないけれど、幼い頃の私にとって大事なことを教えてくれたのは事実。

  きっと、私だけではなく、この「秘密の鍵」を手に入れた“私たち”は、これからもずっと、彼のくれた鍵をどこかに抱えて生きていくのだと思う。

 

Rest in peace.

 

透明な飛行機

 

 

 

伝えたい言葉が上手く言えなくて飛行機雲をずっと見ていた

 

青すぎた春の日のこと時々でいいから思い出して笑って

 

春ってさ、ほんとに青いのかなってたまに思うの / たぶん透明

 

あのときの答え合わせをしたいわけじゃないの答えなんて知ってた

 

種明かしなんてしなくていいからさ 甘い嘘だけずっと聞かせて

 

そこにいるだけで誰かに愛される人がこの世に存在すること

 

会いたいと思えば夢で会えるけど夢ではないと会えない僕ら

 

パラビオン あなたの街へ飛んでいくためには頼りない合言葉

 

透明な飛行機だって空を飛ぶときには雲を吐くんだ(たぶん)

 

星空の下で僕らは透明な飛行機を見た共犯者になる

 

 

 

定型

 

 

深い青、あなたがつくる海でなら溺れ死んでもいいと思った

 

責任を押し付けたくはないけれどあなたに触れた日からさみしい

 

いいんだよ、私はずっと気付かないふりをするから君の嘘には

 

夕暮れの飛行機雲に背を向けてふたりのエンドロールは続く

 

さよならも言えないほどに不器用な僕らの終わりは指切りだった

 

もう二度と触れない右手 たぶんもう思い出さない君の体温

 

会いたいと思わなければ会わなくて済むこの距離に救われている

 

あの冬の匂いを忘れたくなくて一滴残してる柔軟剤

 

捨てられぬ柔軟剤の空ボトル墓石に見立てて冬を弔う

 

△ABCの上でただBC間を行ったり来たり

 

晴れの日が嫌というのは飛び降りる理由になりませんか、先生

 

明日は晴れ、何をするにもいい天気(身を投げたってきっと絵になる)

 

雨宿り、晴れじゃできないじゃんねってテレビの前で君は笑った

 

僕のためだけの音だと思い込む眠れぬ夜の静かな雨垂れ

 

伸びすぎた爪をあなたの背に立てる 行かないでって言えたらいいのに

 

もう誰も傷つけたくはないんだと深夜にぽつり今日も深爪

 

 

 

 

 

 

冬の終わりに想うこと

この間、外を歩いていたとき春の匂いがして、冬の終わりはいつだって春の始まりにかき消されてしまっているな、なんてことを思った。四季の中で、しっかりと、「終わる」ことが許されているのって夏だけなんじゃないか、とも。

春の終わりは、夏あるいは梅雨の訪れによって季節が塗り替えられ、秋の終わりは北風と雪が運んでくる。そして、雪解けよりもっと前に、春の気配は近づいてくる。ただ、夏だけは、夏だけが、「夏の終わり」という実態を持った何かを孕んでいる気がする

考えてみれば、私たちの生活と季節はとても深い関係にあるもので、特に日本人なんて、春はお花見、夏は花火、秋は食欲、読書、スポーツ、etc. (秋だけイベントじゃないな)、冬はクリスマス、お正月、バレンタイン、といった具合に、何かにつけて季節ごとに何かをしている。

 

春のことを考える。桜が散っても春は終わらない。

夏のことを考える。花火は夏の風物詩で、最後の花火大会が終わると夏が終わったような気になる。フジファブリックも歌っているし。

秋のことを考える。木々が葉を落とす間も無く雪が降ってくる。

冬のことを考える。雪が溶ける前に、いつの間にか冬は終わっていて雪が溶ける頃にはもうすっかり春。

 

夏以外の季節にも、きっと「終わり」はあるはずなのに、夏以外の季節の「終わり」を見ないまま20回目の春を迎えようとしている(と書いて気づいたけれど、もうすぐ終わる冬は私にとって20回目の冬なんですね)。

もちろん、終わりがあったほうが、けじめがあったほうが美しいなんて、そんなことは思わないけれど、「冬の終わり」の存在に気づいた今だからこそ、今年は冬の終わりにそっと悲しんだふりをして花でも供えようと思う。