今日も深爪

爪を切るのが絶望的に下手です

冬の終わりに想うこと

この間、外を歩いていたとき春の匂いがして、冬の終わりはいつだって春の始まりにかき消されてしまっているな、なんてことを思った。四季の中で、しっかりと、「終わる」ことが許されているのって夏だけなんじゃないか、とも。

春の終わりは、夏あるいは梅雨の訪れによって季節が塗り替えられ、秋の終わりは北風と雪が運んでくる。そして、雪解けよりもっと前に、春の気配は近づいてくる。ただ、夏だけは、夏だけが、「夏の終わり」という実態を持った何かを孕んでいる気がする

考えてみれば、私たちの生活と季節はとても深い関係にあるもので、特に日本人なんて、春はお花見、夏は花火、秋は食欲、読書、スポーツ、etc. (秋だけイベントじゃないな)、冬はクリスマス、お正月、バレンタイン、といった具合に、何かにつけて季節ごとに何かをしている。

 

春のことを考える。桜が散っても春は終わらない。

夏のことを考える。花火は夏の風物詩で、最後の花火大会が終わると夏が終わったような気になる。フジファブリックも歌っているし。

秋のことを考える。木々が葉を落とす間も無く雪が降ってくる。

冬のことを考える。雪が溶ける前に、いつの間にか冬は終わっていて雪が溶ける頃にはもうすっかり春。

 

夏以外の季節にも、きっと「終わり」はあるはずなのに、夏以外の季節の「終わり」を見ないまま20回目の春を迎えようとしている(と書いて気づいたけれど、もうすぐ終わる冬は私にとって20回目の冬なんですね)。

もちろん、終わりがあったほうが、けじめがあったほうが美しいなんて、そんなことは思わないけれど、「冬の終わり」の存在に気づいた今だからこそ、今年は冬の終わりにそっと悲しんだふりをして花でも供えようと思う。