今日も深爪

爪を切るのが絶望的に下手です

それなのに雨

 鈴木晴香(@UsagiHaru)さんの歌集、『夜にあやまってくれ』を読んだ。実際に読んだのはもう半年も前の話なのだけど、初めて読んで以来、この歌集は私にとってかけがえのない1冊となっている。

 

(本当は何首か紹介したり、感想を書いたりしたいのだけど、実家にいるにも関わらず大学に歌集・メモノートを置いて帰ってきてしまったもので、すみません。どうしても気になる方は自分で買って確認してください。買っても損はしない、っていうのは私が保証します。)

 

 今回はその『夜にあやまってくれ』に収録されている1首

君のいる世界に生きているなんて思えないよ それなのに雨

 という歌について少しだけ書きたいと思う。

 

 私はこの歌に初めて出会ったときからずっと、

君のいる世界に生きているなんて思えない
= 同じ世界に生きているはずなのに会えない

ということだと思っていて、
雨ってどうしてもマイナスなイメージがあるから、そのと「君に会えない」ということが「それなのに」という逆接で繋がれていることに引っ掛かっていたのだけど、もしかして、「会えないけれど、それなのに、雨は、君と私のいる世界に降って、私たちは同じように濡れている」ということなのかなあ、と納得した。


 でも、よくよく考えたら

君のいる世界に生きているなんて思えない

= 君と同じ世界に生きることができて嬉しい

で、こんなにも素敵な世界にいるのに、君と同じ世界に存在できて嬉しいのに、それなのに”が降っている、とも解釈できて(ハッピーな気分に水を差されている、みたいな。雨だけに)、おそらくこっちが作者の意図するところなんだろうな、なんて。

 

 言葉の意味は発信した側ではなく、受信した側に意味の全てが委ねられている、という文句があって、特に日常会話ではなくこういった文芸作品において、解釈の幅というものは私たち読者に対して存分に与えられていると思っているけれど、目の前のリンゴを見てバナナだと思うのは違うから。

 形式上「正しい答え」なんてないとはいえ、そこに発信者がいる限り、「発信者が意図したもの」は確かに存在するから、それを程よく汲み取りつつ、多角的に解釈する、解釈の可能性を見失わない、というのが私の理想。

 

 今回、私の最初の読みは確かに「誤読」だったのかもしれないけれど、最初の解釈も嫌いにはなれない(むしろ好きな) ので、その解釈も、今回の気付きももどちらも忘れないように、という備想録でした。